和布刈神社

和布刈神社(めかりじんじゃ)。壇ノ浦の戦いの前夜には平家一門が酒宴を開いたと伝えられる。


すぐ上を関門大橋が通る。

名称 和布刈神社(めかりじんじゃ)
住所 福岡県北九州市門司区大字門司3492番地
駐車場
由緒 和布刈神社ホームページより。当神社は、人皇十四代仲哀天皇九年(西暦二〇〇年頃)神功皇后三韓より御凱旋あらせられし時、御報賽の思召をもって御創建御自身神主とならせられ齋き祀り給い永く西門鎭護の神とせられたり。故に歴代の将軍、領主等尊崇厚く建武三年足利尊氏神殿造営、至徳年中大内氏神領寄進、應永年中大内義弘神殿造営、文亀年中大内義隆神殿造営、永禄年中毛利氏神領寄進、天正年中仁保常陸介神殿造営、元和六年細川忠興神領寄進、寛永五年細川氏拝殿以下数棟造営明和四年小笠原忠物神殿造営等ありて敬神崇祖の誠を至せり、然して年中神社経費は、各領主之を支援せれたり、当神社は明治六年県社に列せられる。
和布刈神事 和布刈神事は、第十四代仲哀天皇九年、神社創建以来続いた神事で、発端の古く莊重な事は社殿が渦潮たぎる海峡の景勝地に有る事など、相伴って全国諸神社中有名な神事である。毎年冬至の日に和布(わかめ)繁茂の祈念祭をもって始まり旧暦十二月一日には松明を作り奉仕の神職は一週間前から別火に入り潔斎を行う。旧暦正月元旦午前三時頃神職三人は衣冠を正し鎌と桶を持ち松明で社前の石段を照らして下り退潮を追って厳寒の海に入り和布を刈る、これを特殊神饌(福増・歯固・力の飯)等の熟饌と共に神前に供えて祭典を行い明け方近くに終わり直会で全ての行事を終る。昔は刈り取った和布を朝廷や領主に献上していた。この地は神話「海幸、山幸」の由緒を持つ海神より授かった潮干珠、潮満珠を以て海に入ると言われた。和布は万物に先んじて芽を出し自然に繁茂するので幸福発生の姿有り、又神の依代との考えから是を神前に供え至誠を持って御祭りするのは民族固有の精神習慣によるものである。


宗氏が寄進した海中灯篭。宗氏(そうし)はかつて対馬国を支配した守護・戦国大名

関門海峡の潮の流れがわかるでしょうか?

拝殿。

由緒。

稲荷神社。