観世音寺(福岡県太宰府市)
観世音寺(福岡県太宰府市)。
大宰府政庁跡の近隣です。観世音寺跡。
僧 玄纊の墓もあります。説明板。
名称 | 観世音寺 |
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所在地 | 福岡県太宰府市観世音寺五丁目 |
駐車場 | 有 |
備考 | ウィキペディアより。九州随一の仏像彫刻の宝庫である観世音寺の縁起は伝わっておらず、関連文書として最も古いものは延喜5年(905年)成立の「観世音寺資財帳」(東京藝術大学所蔵、国宝)である。『続日本紀』(しょくにほんぎ)の記述によると、観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したもので、斉明天皇は661年に没していることから、それからほどなく造営が始められたと推定される。『二中歴』には観世音寺創建は白鳳元年(661年)のことであるとの記事が見える。『続日本紀』の和銅2年(709年)の記事によると、この時点で造営はまだ完了しておらず、完了したのは発願から約80年も経った天平18年(746年)のこととされる。 |
観世音寺説明板。
観世音寺本堂です。
梵鐘案内板。
梵鐘。
すぐ近くに戒壇院がありあます。戒壇院説明板。
戒壇院 | ウィキペディアより。奈良時代の半ばの天平勝宝5年(753年)12月20日に仏舎利を携え薩摩坊津で来日に成功した唐僧鑑真が、同じ年の12月26日に太宰府を訪れこの戒壇院の地で初の授戒を行った。開山は鑑真であり、戒壇院は現在も奈良時代以来同じ場所にあるとされている。 宗派を超えて僧が集い学ぶという開山の精神から地元では八宗兼学寺とも呼ばれた。 一方で日本書紀には天平宝字5年(761年)に聖武天皇の勅願により観世音寺の境内の西南部の一角に戒壇院が設置されたとあるが、鑑真は天平勝宝6年(754年)1月には平城京に至り、東大寺に住すこととなった。 |
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