板付遺跡弥生村公園

板付遺跡弥生館の前

名称 板付遺跡弥生館
住所 福岡市博多区板付三丁目21-1
料金 無料
駐車場 弥生館の前に数台可
概要 ウィキペディアより。1916 年(大正5年)に、中山平次郎が、甕棺内から青銅製の矛や剣が出土したことを学会に報告した。弥生式土器に金属器がともなうことの初めての報告であった。低台地上の環濠集落と周辺の沖積地に広がる水田跡、墓地などが見られる。1978 年(昭和53年)に、福岡市教育委員会による発掘で、弥生I層(弥生時代前期)より下の縄文時代晩期末の地層から大区画の水田跡と農機具、用水路に設けられた井堰などの灌漑施設が確認された。畦の間隔から水田の一区画は400平方メートルと推定され、花粉分析から畑作栽培も推定された。これをもって最古の弥生文化(早期)が始まる。つまり、農耕社会と捉えてよい[1]。本格的な稲作が行われた縄文水田として話題になったが、一部の学者の説によっては弥生時代早期だともされる。日本での初期集落、稲作を知る上で重要な遺跡である。弥生前期から中期にかけての出土品は、磨製石鏃が12、石剣1口である。

弥生時代の水田を復元している。
菜畑遺跡の復元水田より大きい。

板付遺跡弥生村公園の入り口

竪穴式住居を復元してる。

板付遺跡の概要を表示している。
楕円形の環濠集落だったことがわかる。

竪穴式住居を模した板付遺跡弥生館

弥生人の足跡を展示している。
現代人の足跡とは少し違う。

板付式土器も展示している。縄文時代弥生時代をつなぐ弥生時代最初の土器。

弥生人たちが使っていた石器。