泉福寺洞窟(長崎県佐世保市)(1)

泉福寺洞窟長崎県佐世保市)(1)。
世界最古ではないかといわれる豆粒文土器が発見されました。

専用の駐車場はないようでした。
ここから少し歩いていきます。

名称 泉福寺洞窟
住所 長崎県佐世保市瀬戸越町1-1571
駐車場
備考 説明看板より。1969年に地元大野中学校の生徒が発見した洞窟遺跡です。烏帽子岳から広がる丘陵の北西先端部に位置し、標高90mの砂岩露頭の南側に開口しています。左から第一洞から第四洞と4つの洞窟がつながり、約2万年前の旧石器時代から縄文時代弥生時代平安時代の生活の跡が残っていました。発掘調査は1970年から始まり、1979年まで第10次に及ぶ調査が麻生優(減千葉大学教授)先生の指導により実施されました。調査の結果、縄文時代の始まる頃(草創期)の文化が幾重にも重なって検出され、洞窟が最も利用された時代ということが分かり、一番下の地層から出土した豆粒文土器は1万2千年前のもので世界最古です。また、旧石器時代の終わり頃の細石器文化は本来土器を持たない文化ですが、北松浦郡吉井町国史跡福井洞窟で隆線文土器や爪形文土器に伴って細石器が見つかり、泉福寺洞窟ではさらに古く豆粒文土器と爪形文土器より新しい押引文土器にも細石器がありました。このことは長崎県北部にいた石器時代の人が日本列島のなかで最も早く土器を使い始めたことが証明されます。つまり、柔らかい粘土を焼いて固くし、器として食物の煮炊きや貯蔵に使う土器は、化学変化を応用した人類最大の発見であり、その発明家はこの泉福寺洞窟の住人であった可能性が極めて高いのです。その豆粒文土器は高さ約24cm、口の直径が約13cmで胴が膨らむ深鉢の形をしており底は丸く不安定でたてることは出来ませんが、口縁から胴部にかけて厚くススが付着していますので、恐らく炉の灰の中に半ば埋めて煮炊き使ったことが考えられます。そのため、火熱は横から受けることになり、出土する土器片が口縁部や底部はしっかりしているのに対し、胴部はもろく、量も少ないのはその使い方のせいかも知れません。煮る事で、それまで生では消化できなかった食品が食べれるようになり、縄文時代の飛躍的な発展のきっかけになった土器の発明、その記念すべき遺跡である泉福寺洞窟は1986年3月7日に国の史跡に指定されました。

程なく広場に出ます。

この階段を登るとすぐです。

古代に続いているような道です。