河内王墓(勾金(まがりかね)陵墓参考地)(福岡県田川郡香春町)

河内王墓(勾金(まがりかね)陵墓参考地)(福岡県田川郡香春町)。
鏡ヶ池の近所に河内王墓(勾金(まがりかね)陵墓参考地)はあります。
鏡山神社の鳥居の横を通ります。

こんな感じの道です。

名称 河内王墓(勾金(まがりかね)陵墓参考地
所在地
駐車場 有(神社鳥居前1〜2台?)
備考 ウィキペディアより。万葉集巻第三の417〜419前文に「河内王を豊前国鏡山(かがみのやま)に葬る時、手持女王(たもちのおおきみ)の作る歌三首」とあり、417番に「大王の親魄(にきたま)あへや 豊国の鏡山(かがみのやま)を 宮と定むる」と詠まれている。河内王は大宰帥として九州に赴任しこの地で没したと言われる。このため明治27年(1894年)に天武天皇の皇子・河内王の勾金(まがりかね)陵墓参考地に治定された。陵墓は現在はフェンスに囲まれ宮内庁が管理している。横穴式の円墳であり、石室の一部が露出している。

途中、歌碑があります。

河内王の墓です。宮内庁の立て札があります。
勾金(まがりかね)陵墓参考地となっています。

そう大きくない円墳のようです。


鏡ヶ池の記事で紹介しましたが、この近隣の人達は、勾金(まがりかね)陵墓は別のところにあると言ってます。
その方に連れて行っていただきました。もう一度改めて御礼申し上げます。

上の写真の祠の向こうにあるのがそうです。
祠の横の石組みは何のためか判らないそうです。