古宮古墳(大分県大分市)
古宮古墳(大分県大分市)。
7世紀末〜8世紀初期の古墳です。
名称 | 古宮古墳 |
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所在地 | 、大分県大分市大字三芳字宮畑 |
駐車場 | 有 |
備考 | ウィキペディアより。椎迫という通称で呼ばれる地区の住吉川上流の毘沙門川沿いの丘陵の南斜面にある。周囲には、大分自動車道大分インターチェンジの開設にともない同ICと大分市中心部を結ぶ道路が開通し、住宅団地が造成されるなど、開発が著しい。石棺式石室を持つ九州で唯一の畿内型終末期古墳であり、7世紀末〜8世紀初期に築造されたと推定されている。南北12.5メートル、東西12メートルの方墳で、内部は、羨道を備えた横口式石槨となっている。このような様式は畿内ではよく見られるものであるが、九州には他に例がない。石槨は凝灰岩を刳り抜いて造られている。また、南に川を臨み、山を背にする、いわゆる背山臨水の立地となっており、風水思想の影響がうかがわれる。造成年代および畿内に近い石室の様式から、被葬者は、当時、大分郡(おほきたのこおり)を治めていた大分君(おほきだのきみ)の一族で、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について活躍したと『日本書紀』に記される大分君恵尺(おほきだのきみえさか)ではないかと推定されている。 |