田島神社(佐賀県唐津市)(1)
田島神社(佐賀県唐津市)(1)。
田島神社は相当古い神社です。
由緒。
加部島に鎮座し、入り江に面しています。
名称 | 田島神社 |
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所在地 | 佐賀県唐津市呼子町加部島3965 |
駐車場 | 有 |
備考 | ウィキペディアより。創建年代は不詳であり、神代の時代と伝えられ、肥前国最古の神社とされる。鎮座地の加部島はかつては姫島・姫神島と呼ばれていた。最も古い記録は、『松浦古事記』の天平3年(731年)、相殿に稚武王を配祀し、天平10年(738年)に聖武天皇より大伴古麻呂に詔命があり「田島大名神」の神号が贈られたという記録である。延喜式神名帳には「肥前国松浦郡 田嶋坐神社」と記載され、名神大社に列している。江戸時代には唐津藩の祈願所となった。明治4年に国幣中社に列格した。 |
頼光鳥居 | この鳥居は肥前鳥居として、佐賀県最古のもので、今より約千年前(円融天皇、天元三年)大江山の鬼退治で有名な源頼光が肥前守として都より下向の際に寄進したものである。田島宮の文字は、参議藤原佐理卿の筆である。その後風波の為に崩れ、上松浦党領袖波多氏鳥居を修造して今日に至る。 |
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古宮古墳(大分県大分市)
古宮古墳(大分県大分市)。
7世紀末〜8世紀初期の古墳です。
名称 | 古宮古墳 |
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所在地 | 、大分県大分市大字三芳字宮畑 |
駐車場 | 有 |
備考 | ウィキペディアより。椎迫という通称で呼ばれる地区の住吉川上流の毘沙門川沿いの丘陵の南斜面にある。周囲には、大分自動車道大分インターチェンジの開設にともない同ICと大分市中心部を結ぶ道路が開通し、住宅団地が造成されるなど、開発が著しい。石棺式石室を持つ九州で唯一の畿内型終末期古墳であり、7世紀末〜8世紀初期に築造されたと推定されている。南北12.5メートル、東西12メートルの方墳で、内部は、羨道を備えた横口式石槨となっている。このような様式は畿内ではよく見られるものであるが、九州には他に例がない。石槨は凝灰岩を刳り抜いて造られている。また、南に川を臨み、山を背にする、いわゆる背山臨水の立地となっており、風水思想の影響がうかがわれる。造成年代および畿内に近い石室の様式から、被葬者は、当時、大分郡(おほきたのこおり)を治めていた大分君(おほきだのきみ)の一族で、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について活躍したと『日本書紀』に記される大分君恵尺(おほきだのきみえさか)ではないかと推定されている。 |
現人神社(福岡県田川郡香春町)
現人神社(福岡県田川郡香春町)。
鳥居。
由緒。
名称 | 現人神社 |
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所在地 | 福岡県田川郡香春町大字採銅所 |
駐車場 | 周辺 |
備考 | 由緒。第一産の大神は意富加羅国の王子で垂仁天皇の時代に、新羅の姫神(比竎語曾神)の跡を慕ってこの地に御鎮座しました。第二産の大神は筑前三笠城主原田次郎種直公十三代の子孫で、香春岳城主でしたが、永禄4年豊後大友義鎮に攻められ討ち死にしました。没後、この里に疱瘡、疫痢が流行した時、神霊のお告げ「今より阿羅斯等神の許に鎮まり猿を使いとして万民を救う」があり、現人大神と合祀しました。それ以後、この地方に流行の疱瘡が治りました。往古より武運長久、疱瘡又は小児に多い「ちり」と言う病を守護する大神で、綿布の「くくり様」は諸病退除のお守りです。毎年旧の10月初申の日が大祭で、「金の猿」替えも行いました。 |